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中央と辺境、あるいは表と裏、といった両極に位置する概念は、菅作品を紐解くためのキーワードである。高級ブランドのマーク、ロゴやキャラクター、あるいは絵画におけるキャンバスというデザイン化された媒体を表側とするならば、ステッカーの剥がし跡や、ぶちまけられた液体といった路上で収集されるモティーフ、オーストラリア放浪時に道で見つけた牛骨、朽ちた空き家に至るまでの様々な形態を、菅は豊かな可能性を含む、裏側に位置する構造体として位置づける。それら裏側の構造体を規格外のキャンバスとして採用する一方で、路上で収集したモティーフを標準的なキャンバスに施すといった菅の実践には、表と裏という、相反する二つの概念を攪拌するような目論みがある。

 

「ドリッピング」や「スクラッチング」など、ストリートアートの技法が喚起する瞬間性とは対照的に、菅の絵画はむしろ周到に用意された複数の段階を踏むことで構成されている。作家によって収集され抽象化されたモティーフを、彼が選ぶ「キャンバス」にプロジェクターを用いて投影し、その輪郭を丁寧に描き写す。緻密な計算と手の込んだ描写によって成り立つ画面は、瞬間的な行為の蓄積に表面上似てはいるものの、ストリートアート的アプローチのむしろ対岸で独自の表現言語を展開している。

 

地と図の絶え間なる交差を喚起する中西夏之の絵画、「紙破り」の村上三郎の瞬間的な行為、あるいはキャンバスを切り裂いたルチオ・フォンタナなど、視覚的および思想的領域において、彼に影響を与えた美術家達の存在は計り知れない。さらに、正統な美術史的アプローチの外にある、より周縁的な取り組み、たとえば民俗学は、菅にとってその重要な着想源のひとつとなっている。

アイヌ民族の熊送りの習慣、あるいはアボリジニの伝承など、死と生の循環を説く神話に魅了されて来た菅は、自身の絵画の目的を「表と裏がつながったクラインの壺を描くこと」と表現する。彼にとって絵を描くことは、生と死、表と裏を結び付け、その狭間に永遠の循環の道筋を作る、アボリジニやアイヌ民族にとっての儀式と似た意味を持つ。彼はこれまでにも、旧京都府庁や千葉県銚子市の風景に液体の垂れた余白を取り込み、さらには亡くなった祖母が愛用していた着物にラッカースプレーと油彩でミュウミュウの壁紙のパターンを施すなど、様々な形式でその意図を実現している。

 

表側からは見えにくいもの、疎外されたもの―― すなわち裏側に属するモティーフを抽象化し、液体が滴る「垂らし」や、画面を引っ掻いたような「傷跡」で表現する一方で、辺境で収集した牛骨のキャンバスには、ブランドロゴや有名キャラクターの図像を施し、表と裏を反転して繋げてみせる。世界に均衡をもたらす装置としての性質を帯びた菅の絵画は、アボリジニの神話に代わり、両極的概念の絶え間なる交換と循環を示唆しつつ、見る者をそのあわいへと導く。

 

東出菜代(インディペンデント・キュレーター)

菅隆紀|Takanori Suga

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